前回に続き、「アイデンティティと文化的多様性」(Identity and cultural diversity)について、ノルウェーの教育訓練庁の説明を紹介します。

「アイデンティティと文化的多様性」(Identity and cultural diversity)
「アイデンティティと文化的多様性」について、ノルウェー教育訓練庁は、以下のとおり説明しています。
(ノルウェー教育訓練庁のウェブサイト上の説明から一部を省略して紹介します。)
「学校は生徒に対し、人生の確かな基盤となる歴史的・文化的洞察(historical and cultural insight)を与え、包括的で多様な環境において各生徒が自らのアイデンティティを保持し発展させることを支援しなければなりません。
私たちの歴史と文化への洞察は、生徒のアイデンティティ形成と社会への帰属(belonging)を育む上で重要です。生徒は、わが国の人々を結びつける価値観や伝統について学びます。キリスト教とヒューマニズムの遺産と伝統は、ノルウェーの集合的文化的遺産における重要な要素であり、わが国の民主主義の発展において極めて重要な役割を果たしてきました。サーミの文化的遺産はノルウェーの文化的遺産の一部です。私たちの共有する文化的遺産は歴史を通じて発展を遂げてきたものであり、現在および将来の世代によって継承されなければなりません。
共通の参照枠組み(common reference frameworks)【藤本注:ある社会の中で一般に共通する要素(例えば価値観、文化、言語等)を指しているものと思われます。】は、一人ひとりの社会における帰属感(sense of belonging)にとって重要です。これにより連帯感が生まれ、各個人のアイデンティティがより大きな共同体や歴史的文脈と結びつきます。共通の枠組みは多様性の余地を与え、また与え続けなければなりません。生徒には、異なる視点や態度、人生観と共に生きる方法についての洞察が与えられなければなりません。様々な文化的表現や伝統との触れ合いを通じて生徒が得る経験は、彼らのアイデンティティ形成に役立ちます。良き社会は、包摂性と多様性の理念に根ざしています。
教育と訓練は、生徒が言語能力に自信を持ち、言語的アイデンティティ(language identity)を育み、言語を用いて思考し、意味を創造し、他者と意思疎通・交流できることを保証しなければなりません。言語は帰属感と文化的自覚(cultural awareness)をもたらします。ノルウェーでは、ノルウェー語とサーミ語(南サーミ語、ルレサーミ語、北サーミ語)が同等の地位を有しています。ノルウェー語は、ブークモールとニーノシュクという二つの同等のかたちから構成されています。ノルウェー手話もまた、ノルウェーにおいて独自の言語として認められています。社会における言語的多様性に関する知識は、あらゆる生徒に様々な表現形式、考え、伝統に対する貴重な洞察を提供します。全ての生徒は、複数の言語に習熟すること(being proficient in a number of languages)が、学校においても社会全体においても貴重な資源であることを実感すべきです。
教育と訓練を通じて、生徒は、先住民族サーミの人々の歴史、文化、社会生活、権利について理解を深めるものとします。生徒は、サーミの文化と社会生活の中における多様性および差異について学ぶものとします。
歴史を通じて、ノルウェー社会は様々な潮流や文化的伝統の影響を受けてきました。人口構成(population)がかつてないほど多様化し、また、世界がより密接につながる(where the world is coming closer together)現代において、言語能力と文化的理解はますます重要性を増しています。学校は、一人ひとりのアイデンティティの形成(development)を支援し、自分は何者であるかにつき生徒に自信を持たせる(make the pupils confident in who they are)とともに、この多様な社会に参加し世界と未来への扉を開くために必要な、共通の価値観を提示しなければなりません。」
生徒に求められていること
上記は「教育と訓練の核心的価値」として記載された内容であり、学校側、教師側についての内容がメインですが、生徒についての内容(以下の2つ)も含まれています。
・ 自らのアイデンティティを保持し発展させる
・ ノルウェーの人々を結びつける価値観や伝統について学ぶ
・ 異なる視点や態度、人生観と共に生きる方法について洞察する
・ 言語能力に自信を持ち、言語的アイデンティティを育み、言語を用いて思考し、意味を創造し、他者と意思疎通・交流する
・ 複数の言語に習熟する
・ 先住民族サーミの人々の歴史、文化、社会生活、権利について理解を深める
・ サーミの文化と社会生活の中における多様性および差異について学ぶ
所感
「アイデンティティ」とは、どのような意味でしょうか。私(藤本)の調べたところによれば、「アイデンティティ」とは、価値観や考え方、社会における自分の役割などを含め、「自分は何者か」「どんな人間になりたいか」を自分でわかっており、それについて自信をもっていることであり、かつ、周り(社会)から自分がどう見られているかという面も少し含む(自分で思っていても、周り(とくに親しい人たち)から「全然違う」と思われていたら、それはアイデンティティとして確立されない)ものです。
アイデンティティについて
アイデンティティの確立は、ノルウェーを含む欧米諸国の教育において、とても重視されています。教育において重視されているということは、逆に言えば、教育を受けずに自力でアイデンティティを確立するのは難しいということではないでしょうか。
「自分は何者か」「どんな人間になりたいか」を自分でわかっており、それについて自信をもっていること。日本語には、それに対応する伝統的な言葉がありません。なので、伝統的に、日本にはそのようなことを重視する発想がなかったのではと推察します。
日本の子どもや若者の自己肯定感や主体性が国際比較において低いと言われているのは、アンケートの表現の問題(英語と日本語の語感のずれ)や、回答に対する謙虚さという文化の影響があるように思われますが、もしそれを差し引いても本当に低いということなら、ひょっとすると、教育においてアイデンティティの確立が十分重視されていないことが、その原因かも知れません。
上記においてノルウェー教育訓練庁が、「自分は何者であるかにつき生徒に自信を持たせる(make the pupils confident in who they are)」ことを学校の義務として明示している("School shall" という義務表現をとっています。)ことは、私たちに貴重な示唆を与えてくれるのではないでしょうか。
文化的多様性について
アイデンティティとの関係で、一人ひとりが社会における帰属感をもつためには、社会における共通の要素(価値観、文化、言語等、上記における「共通の参照枠組み」)が重要なのですが、そこには「多様性の余地を与え、また与え続けなければならない」としています。「一つの価値観、文化、言語をもつ社会に帰属している」ことをアイデンティティとするのではなく、「多様な価値観、文化、言語をもつ社会に帰属している」ことをアイデンティティとする、ということだと理解しました。
社会は多様化が進んでおり、「異なる視点や態度、人生観と共に生きる方法について洞察する」ことの重要性は、今後ますます大きくなっていくことが予想されます。
上記では、文化的多様性の理解を深める方法として、複数の言語に習熟することと、少数民族の文化と社会生活の中における多様性および差異について学ぶことが述べられています。後者は、サーミの中にも様々な文化と社会生活があることを理解することで、「サーミ」と一括りにしたステレオタイプな見方から脱却する、ということであると思われます。これは、少数民族など少数派に対するステレオタイプな見方、偏見を解消するための方法として、非常に重要であるように思います。
次回に続きます。
元塾 藤本豪


